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時空を旅する世界遺産
  • 時空を旅する世界遺産
    「ものづくり⼤国」と呼ばれる⽇本
    その⼟台となったのが「明治⽇本の産業⾰命遺産」
    ⽇本の技術⼒の源や先⼈の
    驚異的なエネルギーを感じる世界遺産。
    未来を考えるヒントを探しに、いま出かけよう。

    News & Topics

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    世界遺産
    「明治日本の産業革命遺産」とは

    「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」は2015年7月に世界文化遺産に登録され、2025年に10周年を迎えます。明治以降の日本の近代化において重要な役割を果たした産業遺産群であり、19世紀後半から20世紀初頭にかけ、わずか50年余りの短期間で産業化を成し遂げた、世界でも類を見ないプロセスを物語るものです。全国8県11市に点在する23の構成資産全体で世界遺産の価値を有しています。

    日本の技術力の源を巡る8つのエリア

    製鉄・製鋼
    造船
    石炭産業
    萩

    近代化初期の産業遺産群と
    当時の街並みをそのままに

    萩は幕末に西洋技術を取り入れ、産業化や産業文化形成の舞台となった
    地域の全体像と特徴を現在に伝えている。
    萩(長州)藩は鉄製大砲や西洋式軍艦の製造をめざし、吉田松陰は社会全体の近代化を夢見た。
    萩は幕末に西洋技術を取り入れ、
    産業化や産業文化形成の舞台となった
    地域の全体像と特徴を現在に伝えている。
    萩(長州)藩は鉄製大砲や
    西洋式軍艦の製造をめざし、
    吉田松陰は社会全体の近代化を夢見た。
    長州藩毛利家が城を構える政治の中心地だった萩で、吉田松陰は多くの若者に海防の必要性や
    産業技術の重要性を説き、人材育成にあたりました。
    山口県萩市(1856)
    松下村塾
    吉田松陰の私塾。日本を近代化に導いた立役者の伊藤博文も塾生の一人でした。
    松下村塾
    プロの技、教えます!
    当時のままのこじんまりと簡素な造りを引き立てるために建物の左右を切り取り、手前にぼかしを置くことで奥行き感を出しています。
    山口県萩市(17〜19世紀)
    萩城下町(旧町人地)
    萩城下町(旧町人地)
    プロの技、教えます!
    白く輝くなまこ壁とまっすぐ伸びる道のコントラストを描写しています。
    山口県萩市(17〜19世紀)
    萩城下町(城跡)
    萩城下町(城跡)
    プロの技、教えます!
    水に反射する景色を一緒に切り取り、石垣の連続性を描写しています。
    鉄製大砲を造るのに、従来の鋳鉄技術「こしき炉」では大量の鉄を一度に溶かすことはできませんでした。
    そこで蘭書を頼りに建設されたのが反射炉です。
    佐賀藩の反射炉を模倣した試作炉が萩に建造されました。
    山口県萩市(1856)
    萩反射炉
    佐賀藩の反射炉を視察して建造された試作炉。煙突部がほぼ完全な形で残っています。
    萩反射炉
    プロの技、教えます!
    木漏れ日が綺麗な時間帯を狙い、低いアングルから少しあおると、スケールの大きさが際立ちます。
    プロの技、教えます!
    木漏れ日が綺麗な時間帯を狙い、低いアングルから少しあおると、スケールの大きさが際立ちます。
    吉田松陰の門下生だった桂小五郎の進言で、萩反射炉の600mの地に長州藩が恵美須ヶ鼻造船所を建設。
    洋式帆船を建造しました。船材に使われた鉄製品は大板山のたたらより供給されました。
    山口県萩市(1856)
    恵美須ヶ鼻造船所跡
    現存する石造りの防波堤は、当時の様子を今に伝えています(コンクリート製の灯台は後世の建造)。
    恵美須ヶ鼻造船所跡
    プロの技、教えます!
    壮大な空間の広がりを活かしたい場所です。海に張り出した場所にぽつんと立つ灯台を中心からやや外した場所に捉えつつ、空を大きく切り取ると雰囲気が出ます。
    山口県萩市(1855)
    大板山たたら製鉄遺跡
    燃料は木炭、原料は砂鉄、足踏みの人力ふいごを用いた前近代的なたたら製鉄法で鉄を生産。恵美須ヶ鼻造船所へ洋式帆船用の部材を供給しました。
    大板山たたら製鉄遺跡
  • モデルコース
  • 1
    萩・明倫学舎(世界遺産ビジターセンター)
  • 2
    萩城跡指月公園【萩城下町(城跡)】
  • 3
    口羽家住宅【萩城下町(旧上級武家地)】
  • 4
    堀内鍵曲【萩城下町(旧上級武家地)】
  • 5
    萩博物館【萩城下町(旧上級武家地)】
  • 6
    菊屋家住宅【萩城下町(旧町人地)】
  • 7
    木戸孝允旧宅【萩城下町(旧町人地)】
  • 8
    萩反射炉
  • 9
    恵美須ヶ鼻造船所跡
  • 10
    松下村塾
  • 11
    大板山たたら製鉄遺跡
  • 鹿児島

    近代的な国づくりに挑んだ
    先駆者たちの工場群

    幕末、集成館を見たイギリス人たちは「日本のマンチェスター」と呼んだ。
    集成館は、日本の近代工場発祥の地であり、先人たちが自力でつくりあげようとした想いと
    培われてきた技術はその後の日本の近代化に大きく貢献した。
    幕末、集成館を見たイギリス人たちは
    「日本のマンチェスター」と呼んだ。
    集成館は、日本の近代工場発祥の地であり、
    先人たちが自力でつくりあげようとした想いと
    培われてきた技術はその後の日本の
    近代化に大きく貢献した。
    薩摩藩第11代藩主・島津斉彬は桜島と錦江湾を望む風光明媚な土地に、
    製鉄大砲鋳造と造船を核とした一大工場群「集成館」を建設しました。
    鹿児島県鹿児島市(1852)
    関吉の疎水溝
    初期の集成館事業の動力には水力が活用されていて、集成館へ水を供給しました。
    関吉の疎水溝
    プロの技、教えます!
    左手の川だけでなく、川から引いた水が水路に流れる右側の様子がポイントなので、引きのアングルで撮影。自然に囲まれた場所であるということが伝わるよう水や木々も意識しています。
    鹿児島県鹿児島市(1857)
    旧集成館反射炉跡
    大砲鋳造に必要な鉄を溶かすために建設された炉の跡。
    現存するのは、2号反射炉の基礎の石組み。【名勝 仙巌園・尚古集成館】 開館時間/ 9:00〜17:00(年中無休)
    旧集成館反射炉跡
    鹿児島県鹿児島市(1858)
    寺山炭窯跡
    反射炉の燃料となる木炭の不足を解消するために建設され、火力の強い白炭を製造しました。※写真は被災前の様子
    寺山炭窯跡 ※写真は被災前の様子
    薩摩藩は日本列島の南の玄関口に位置し、外洋での和船の操縦法に長けていました。
    海防の危機感を持った島津斉彬は、諸藩に先駆け大砲の鋳造や蒸気船の建造に挑戦しました。
    鹿児島県鹿児島市(1865)
    旧集成館機械工場(現:尚古集成館本館)
    オランダやイギリスから輸入した機械を蒸気機関の動力で駆動し、金属加工や船舶装備品など様々な部品を製造しました。※2024年10月リニューアルオープン。【名勝 仙巌園・尚古集成館】 開館時間/ 9:00〜17:00(年中無休)
    旧集成館機械工場
    鹿児島県鹿児島市(1867)
    旧鹿児島紡績所技師館
    西洋から招いた紡績技師の宿舎。木造瓦葺きの建物で、和洋折衷の建築様式が特徴。通称「異人館」。開館時間/ 8:30~17:30(年中無休)
    旧鹿児島紡績所技師館
  • モデルコース
  • 鹿児島中央駅
  • 1
    鹿児島紡績所跡
  • 2
    旧鹿児島紡績所技師館
    (異人館)
  • 3
    旧集成館機械工場
    (尚古集成館本館)
  • 4
    反射炉跡
  • 5
    疎水溝集成館口
  • 6
    仙巌園
  • 7
    寺山炭窯跡
  • 8
    関吉の疎水溝
  • 韮山

    日本の近代化を今に伝える
    幕末の最先端工場

    中世の幕開けを告げる源頼朝の挙兵をはじめ、日本の歴史上大きな変革の端緒となった地、韮山。
    そして時代は幕末、この地に日本の近代化の礎となった最先端工場、韮山反射炉が築かれた。
    その姿は今もなお、空に向かってそびえ立っている。
    中世の幕開けを告げる源頼朝の挙兵をはじめ、
    日本の歴史上大きな変革の端緒となった地、韮山。
    そして時代は幕末、
    この地に日本の近代化の礎となった
    最先端工場、韮山反射炉が築かれた。
    その姿は今もなお、空に向かってそびえ立っている。
    東国の幕領を支配した韮山代官所が江戸幕府の命を受け、
    佐賀藩より技術者を招いて江戸湾防衛のための反射炉を建造しました。
    静岡県伊豆の国市(1857)
    韮山反射炉
    東国の幕領を支配した韮山代官所が幕府の命を受け、佐賀藩より技術者を招いて江戸湾防衛のための反射炉を建造しました。完全な形で遺っています。 開館時間/
    【3~9月】 9:00~17:00 【10~2月】 9:00~16:30
    観覧できない日はこちらをご確認ください
    韮山反射炉
    プロの技、教えます!
    堂々と空に伸びてそびえ立つ勇姿をおさめるために、人物を手前に入れ、遠近感を強めにきかせて撮影しています。
  • モデルコース
  • 東京駅
  • 1
    三嶋大社
  • 2
    願成就院
  • 3
    韮山反射炉
  • 4
    高炉跡
  • 釜石

    1858年、盛岡藩出身の大島高任は、鉄鉱石を原料とした良質な銑鉄を鉄製大砲の素材として供給するため、
    西洋の技術書からの情報を頼りに釜石において高炉を建設し、日本で初めて連続出銑に成功。
    釜石は日本の近代製鉄発祥の地となった。
    1858年、盛岡藩出身の大島高任は、
    鉄鉱石を原料とした良質な銑鉄を
    鉄製大砲の素材として供給するため、
    西洋の技術書からの情報を頼りに
    釜石において高炉を建設し、
    日本で初めて連続出銑に成功。
    釜石は日本の近代製鉄発祥の地となった。
    日本最大の鉄鉱山である釜石の山深く、盛岡藩出身の大島高任は地元の鉄鉱石を原料として、
    古来のたたら製鉄ではできなかった良質で均質な鉄の大量生産に初めて成功しました。
    岩手県釜石市(1858)
    橋野鉄鉱山
    連続操業に成功した、現存する日本最古の高炉跡。動力は水力ふいご、燃料は木炭、原料は鉄鉱石でした。高炉場跡は常時開放
    (積雪時は見学困難・夜間はクマ等に注意)
    橋野鉄鉱山インフォメーションセンター
    開館時間/ 9:30~16:30
    休館日/12月9日~3月31日まで
    橋野鉄鉱山
    プロの技、教えます!
    堂々と空に伸びてそびえ立つ勇姿をおさめるために、人物を手前に入れ、遠近感を強めにきかせて撮影しています。
  • モデルコース
  • JR釜石線・三陸鉄道釜石駅
  • 1
    釜石市郷土資料館
  • 2
    鉄の歴史館
  • 3
    「鵜住居トモス」&
    「鵜住居スタジアム」&ランチ
  • 4
    世界遺産「橋野鉄鉱山」
  • 5
    日本の永遠のふるさと「遠野」
  • 佐賀

    西洋の最新技術と日本の伝統技術の融合が、
    日本の近代造船の礎を築く

    西洋の最新技術と
    日本の伝統技術の融合が、
    日本の近代造船の礎を築く

    幕末日本において最もモダンな藩と言われる佐賀藩。
    いち早く西洋の技術を取り入れて、独自に、洋式海軍の創設と洋式艦船の整備・運用を実現するに至った。
    また、佐賀藩が蓄積した技術と育成した人材は、明治日本の近代造船の礎となった。
    幕末日本において
    最もモダンな藩と言われる佐賀藩。
    いち早く西洋の技術を取り入れて、独自に、
    洋式海軍の創設と洋式艦船の整備・運用を
    実現するに至った。
    また、佐賀藩が蓄積した技術と育成した人材は、
    明治日本の近代造船の礎となった。
    海防の危機を抱いた江戸幕府は長崎に海軍伝習所を開きます。
    長崎警護の任にあった佐賀藩は多くの伝習生を派遣し、洋式船の操作技術や西洋の科学技術を学ばせました。
    佐賀藩は海軍伝習所の閉鎖後も三重津の地において、独自に海軍技術の教練を行いました。
    佐賀県佐賀市(1858)
    三重津海軍所跡
    洋式船の修理・建造と洋式船に関する教練指導のため佐賀藩が創設。長崎海軍伝習所で学んだ佐賀藩士が教官となりました。木と土でドライドックを築造し、有明海の干満差を利用した特徴的な運用を行っていました。
    三重津海軍所跡
  • モデルコース
  • 佐賀駅
  • 1
    バルーンミュージアム
  • 2
    佐賀城本丸歴史館
  • 3
    筑後川昇開橋
  • 4
    橋の駅ドロンパ
  • 5
    飛鳥工房
  • 6
    三重津海軍所跡
  • 7
    佐野常民と
    三重津海軍所跡の歴史館
  • 8
    東よか干潟
  • 9
    佐賀県庁展望ホール
  • 10
    名尾手すき和紙
  • 11
    古湯・熊の川温泉
  • 長崎

    西洋文化の窓口「長崎」、
    近代化を支えた、技術の発信地

    西洋の窓口長崎には、早い段階から、
    西洋と科学や技術を交流する伝統が培われていた。
    造船の分野では三菱長崎造船所が、石炭産業分野では高島炭坑・端島炭坑が設けられた。
    西洋の窓口長崎には、早い段階から、
    西洋と科学や技術を交流する伝統が培われていた。
    造船の分野では三菱長崎造船所が、
    石炭産業分野では高島炭坑・端島炭坑が設けられた。
    徳川幕府は洋式艦船の機械修理工場「長崎鎔鉄所」を建設しました。
    1887年に民間に払い下げられ三菱社(現在の三菱重工業(株))の所有となります。
    日清戦争が終結した1895年、明治政府は造船業を国の重要産業に位置付け海軍力の増強を図りました。
    長崎県長崎市(1869)
    小菅修船場跡
    蒸気機関による曳揚げ装置を装備した、日本初の近代的な船舶修理施設。大型蒸気船が難なく曳揚げられ、船底を含む本格的な修理が可能になりました。曳揚げ機小屋は現存する日本最古の煉瓦造建築。※曳揚げ機小屋内は、工事のため2024年10月末(予定)まで非公開
    小菅修船場跡
    長崎県長崎市(1909)
    三菱長崎造船所
    ジャイアント・カンチレバークレーン
    150トンまで吊り上げ可能な英国製の電動クレーン。同型は世界で10基、日本では3基が現存しています。稼働しているものとしては世界最古。<非公開施設>
    プロの技、教えます!
    ライトアップする夜がおすすめです。闇夜に浮かび上がるクレーン、そして海面を広く入れてオレンジの光が揺らいでいる様子をおさえています。
    三菱長崎造船所ジャイアント・カンチレバークレーン
    長崎県長崎市(1905)
    三菱長崎造船所 第三船渠
    蒸気機関ではなく電気で駆動する英国製の排水ポンプを備えた大型ドライドック。造船所の電化と、船舶の急速な大型化を背景に建造されました。<非公開施設>
    三菱長崎造船所 第三船渠
    長崎県長崎市(1904)
    三菱長崎造船所 占勝閣
    所長の邸宅として建てられた木造二階建ての洋館。現在は造船所の迎賓館として使用されています。<非公開施設>
    三菱長崎造船所 占勝閣
    長崎県長崎市(1898)
    三菱長崎造船所 旧木型場
    機械部品やプロペラなどの鋳物製造に用いる木型を製作していた二階建木骨煉瓦造建物。現在は史料館として活用されています。※休館中(開館時期未定)。詳細はこちらをご確認ください
    三菱長崎造船所 旧木型場
    プロの技、教えます!
    窓の形や配置の面白さと一つ一つのレンガの色味の違いがわかる距離感で撮影。フラットな印象になるのを避けるため、植物のグリーンを少し加えています。
    幕末の日本には欧米から多くの蒸気船が寄港し、燃料として石炭の需要が高まりました。
    西洋の玄関口である長崎から石炭産業の近代化が始まり、
    長崎警備を担っていた佐賀藩がグラバーと共に日本初の洋式炭坑を高島に開発しました。
    長崎県長崎市(1869)
    高島炭坑
    蒸気機関による排水設備を備えた日本初の洋式炭坑。
    高島炭坑
    長崎県長崎市(1890)
    端島炭坑
    日本初の大規模な海底炭坑で、石炭産業の繁栄と衰退を物語る構成資産です。採炭施設遺構や度々拡張された石積護岸などが遺されています。そのシルエットから「軍艦島」と呼ばれます。<一部非公開施設>
    端島炭坑
    プロの技、教えます!
    端島炭坑の形のユニークさと存在感、スケール感を大切にしながら、空や海の割合を決めています。
    長崎県長崎市(1863)
    旧グラバー住宅
    21歳で来日したスコットランド出身の貿易商トーマス・B・グラバーの活動拠点。日本の産業の発展に貢献しました。開園時間/ 8:00~18:00 夜間開園スケジュールはこちらをご確認ください
    旧グラバー住宅
    プロの技、教えます!
    周囲の緑や床材を入れることで、洋館の丸みを帯びた全体像を効果的に見せています。
  • モデルコース
  • 長崎港
  • 1
    長崎港めぐり遊覧
  • 2
    ジャイアント・
    カンチレバークレーン
  • 3
    高島~中ノ島
  • 4
    軍艦島を海から見学
  • 5
    軍艦島を周遊
  • 6
    端島(軍艦島)上陸
  • 7
    長崎港
  • 8
    【ランチ】
    長崎出島ワーフ
  • 9
    軍艦島
    デジタルミュージアム
  • モデルコース
  • 「石橋」電停
  • 10
    グラバースカイロード
    (斜行エレベーター)
  • 11
    南山手レストハウス
  • 12
    祈念坂
  • 13
    大浦展望公園
  • 14
    グラバースカイロード
    (垂直エレベーター)
  • 15
    グラバー園内旧三菱第2ドックハウス
    (世界遺産ビジターセンター)
  • 16
    旧グラバー住宅
  • 17
    大浦天主堂
  • 18
    グラバー通り
  • 19
    グラスロード1571
  • 20
    長崎南山手プリン
  • 21
    祈りの丘絵本美術館
  • 22
    清風堂 グラバー坂店
  • 三池

    高品位で豊富な埋蔵量の石炭が、
    明治、大正、昭和の日本を支えた

    殖産興業は明治政府が掲げたスローガンであり、それを支えたのが炭鉱であった。
    開削や採鉱の技術を西洋に学び、日本人みずからの創意と工夫を施し、
    明治・大正・昭和と、3つの時代を通じて三池を黒いダイヤの山へと変えていった。
    殖産興業は明治政府が掲げたスローガンであり、
    それを支えたのが炭鉱であった。
    開削や採鉱の技術を西洋に学び、
    日本人みずからの創意と工夫を施し、
    明治・大正・昭和と、3つの時代を通じて
    三池を黒いダイヤの山へと変えていった。
    明治政府の初代工部卿・伊藤博文が三池炭の国外輸出を持ちかけ、三池炭鉱近代化のきっかけをつくりました。
    1908年、團琢磨が築港を主導した三池港の完成により、当時世界最先端の産業システムを有する炭鉱に発展しました。
    福岡県大牟田市(1898)
    三池炭鉱 宮原坑
    明治期から昭和初期にかけての三池炭鉱の主力坑口で、第二竪坑櫓と巻揚機室などが残っています。開館時間/ 9:30~17:00
    休館日/ 毎週月曜日(祝日の場合はその翌日)
    スケジュールはこちらをご確認ください
    プロの技、教えます!
    レンガの連なりと白い櫓を画角に配置して奥行きを表現し、スケール感を強調しています。
    三池炭鉱 宮原坑
    福岡県大牟田市・熊本県荒尾市(1905)
    三池炭鉱 専用鉄道敷跡
    三池炭鉱坑口と石炭の積出港である三池港を結ぶ専用鉄道の線路跡です。三池炭鉱で採掘された石炭や産業用物資などを輸送しました。
    プロの技、教えます!
    炭鉱と港をつないでいた往時の雰囲気が出るように、櫓に向かって線路が延びる角度で撮影しています。
    三池炭鉱 専用鉄道敷跡
    熊本県荒尾市(1902)
    三池炭鉱 万田坑
    宮原坑と共に明治期から昭和中期にかけての三井の総力をあげて開坑した三池炭鉱の主力坑口でした。開館時間/ 9:30~17:00
    休館日/ 毎週月曜日(祝日の場合は翌平日)、年末年始(12月29日から1月3日)
    三池炭鉱 万田坑
    プロの技、教えます!
    被写体を斜めにとらえ、古びた煉瓦造りの幾何学性と白い櫓のコントラスト、広大な敷地のスケール感を表現しています。
    福岡県大牟田市(1908)
    三池港
    團琢磨による築港で、ハチドリの形状に設計され自然条件を克服しました。三池炭鉱から専用鉄道で運ばれてきた石炭を、接岸した大型船に効率よく積み込むことが可能になりました。写真提供:国土交通省九州地方整備局博多港湾・空港整備事務所
    三池港
    熊本県宇城市(1887)
    三角西港
    三池炭鉱で採掘された石炭の海外輸出に用いられた明治政府の三大築港の一つです。設計はオランダ人技師ムルドル。施工したのは天草の石工で、当時最先端の技術が用いられました。しかし、三池炭鉱から離れた立地であったため、三池港が築港されると、その役割を終えました。
    三角西港
    プロの技、教えます!
    流線的で存在感のある石積みの埠頭を入れつつ、海と空を広めに配置することで、この場所の広大さと抜け感を表現しています。
  • モデルコース
  • 大牟田駅or荒尾駅
  • 1
    石炭産業科学館
  • 2
    宮原坑・
    三池炭鉱専用鉄道敷跡
  • 3
    万田坑
  • 4
    三池港(三池港展望所・
    旧長崎税関三池税関支署)
  • モデルコース
  • 熊本駅or熊本空港
  • 1
    三角西港(世界文化遺産)
  • 2
    HANA no GAKKO
  • 3
    松合土蔵白壁
  • 4
    永尾剱神社
  • 4
    道の駅うき
  • 八幡

    明治期の一大国家プロジェクト、
    日本初の銑鋼一貫製鉄所創設

    明治維新後の産業の近代化に伴う鉄鋼需要の高まりに対応するため、
    1901年、原料を集めて、製品まで一か所で製造する日本初の銑鋼一貫製鉄所、
    官営八幡製鐵所が創業。試行錯誤を繰り返しながら、
    1910年には国内鋼材生産量の90%以上を賄うなど、日本の発展に大きく貢献してきた。
    明治維新後の産業の近代化に伴う
    鉄鋼需要の高まりに対応するため、1901年、
    原料を集めて、製品まで一か所で製造する
    日本初の銑鋼一貫製鉄所、
    官営八幡製鐵所が創業。
    試行錯誤を繰り返しながら、
    1910年には国内鋼材生産量の90%以上を
    賄うなど、日本の発展に大きく貢献してきた。
    鉄道、造船、蒸気機関など鉄鋼の需要が飛躍的に高まると、
    明治政府は鉄をつくるのに必要な石炭の産出地である筑豊炭田に近く、
    輸送の便も良い八幡村(北九州市)に官営八幡製鐵所を建設しました。
    福岡県北九州市(1899)
    官営八幡製鐵所 旧本事務所
    和洋折衷の造りで屋根の黒い和瓦と赤レンガのコントラストが美しい。国の威信をかけた官営製鐵所の中枢機関です。
    和洋折衷の造りで屋根の黒い和瓦と赤レンガのコントラストが美しい。国の威信をかけた官営製鐵所の中枢機関です。
    <非公開施設>
    ※観光案内ボランティア常駐(無料)の眺望スペースがあるほか、VRで旧本事務所内のバーチャルツアーを体験できます。
    官営八幡製鐵所 旧本事務所
    福岡県中間市(1910)
    遠賀川水源地ポンプ室
    製鉄に必要な工業用水の確保のために建設された、遠賀川を水源とする送水施設。100年以上経った現在も役割は変わらず稼働し続けています。
    <非公開施設>
    ※敷地外に解説案内板が設置された眺望スペースがあります。土日祝日はガイド(無料)が案内しています。
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    古びた煉瓦造りの壁を彩るツタの美しさと、丸い窓の面白さを強調するため、建物の一部を切り取って撮影しています。
    遠賀川水源地ポンプ室
  • モデルコース
  • スペースワールド駅
  • 1
    世界遺産ビジターセンター(スペースLABO ANNEX内)
  • 2
    官営八幡製鐵所
    旧本事務所眺望スペース
  • 3
    旧安川邸
  • 4
    遠賀川水源地ポンプ室
    眺望スペース
  • 5
    遠賀川水源地ポンプ室
    インフォメーションセンター
  • 6
    新鮮市場さくら館